蒸気機関車のリサイクル ― 2011/06/19 01:24
以前の写真を見ていると、見落としている事が良くあります。
この写真もそのひとつ。
写真は以前、加悦SL広場で見たDB201です。
この可愛い機関車ですが、今写真を見てみると車輪の辺りがおかしい。
なんか、蒸気機関車みたいな連結棒(ロッド)が付いている?!
いや、元々蒸気機関車だったのである!!
1950年代に石炭価格の高騰などにより、森製作所によりディーゼル機関車に改造されたのです。
経費節減のために廃車になる小型蒸気機関車にトラック用のエンジンを載せたものです。
鉄道車両というものは、殆どがオーダーメイドなので、廃車からの部品流用というのは普通に行われますが、蒸気機関車をディーゼル機関車に改造するというのは、結局少数で終わっています。
現地では、知っていながら見逃して、あとで写真を見て気付いたのでした。
汽車の旅(3章) ― 2011/04/25 00:44
さて、加悦SL広場の呼び物は123号機関車(重要文化財!!)です。
でも、ゲテモノ大好きな私としては、キハ08 3の次にこれがお勧めです。
ラッセル車 キ165です。
雪を掻き分ける除雪車で、蒸気機関車の前に繋いで雪を両脇に押しのける貨車です。
こんな貨車は中々残っていません。
中にも入れますので、一見の価値がありますよ。
今は温暖化で、この手の車両の出番は少なくなりましたが、昨年は大雪で大活躍したようですね。
もっとも、今は除雪機械とやらに任せてたら、除雪が追い付かなかったようですが。
本物の機関車は強いですね。
でも、ゲテモノ大好きな私としては、キハ08 3の次にこれがお勧めです。
ラッセル車 キ165です。
雪を掻き分ける除雪車で、蒸気機関車の前に繋いで雪を両脇に押しのける貨車です。
こんな貨車は中々残っていません。
中にも入れますので、一見の価値がありますよ。
今は温暖化で、この手の車両の出番は少なくなりましたが、昨年は大雪で大活躍したようですね。
もっとも、今は除雪機械とやらに任せてたら、除雪が追い付かなかったようですが。
本物の機関車は強いですね。
汽車の旅(2章) ― 2011/04/18 00:51
何をしていたかというと、加悦SL広場という鉄道車両の展示施設が天橋立の側にありまして、そこに行っていたのでした。
加悦SL広場
http://www.kyt-net.ne.jp/kayaslhiroba/
前回のキハ08 3が一番見たくて行ったのですが、実は車内は喫茶室に改造されておりました。
旅程としては、いつもどおり夜中に出発して道の駅に泊ります。
今回は加悦SL広場の前に道の駅シルクのまち かやがありますので、そこに泊りました。
夜中に入ったので、トイレが分からず困りましたが、実は小道をはさんだ向こう側にありました。
建物のある敷地には夜間使えるトイレが無いので、ご注意ください。
ちなみに加悦は絹織物の産地で、ご当地の食べ物は、絹の粉が入った「シルクうどん」です。
食べた感想は、普通の安いうどんでした。
特に肌がきれいになったりもしなかったです。
この道の駅は、ニッケル鉱山の跡地で太平洋戦争中は大規模に採掘していたそうです。
裏の運動場のところに鉱石を乾燥させる炉の煙突が残っていました。
SL広場は、これらの鉱石を天橋立の側にある精錬工場に運ぶための積み出し駅の跡だそうです。
加悦SL広場
http://www.kyt-net.ne.jp/kayaslhiroba/
前回のキハ08 3が一番見たくて行ったのですが、実は車内は喫茶室に改造されておりました。
旅程としては、いつもどおり夜中に出発して道の駅に泊ります。
今回は加悦SL広場の前に道の駅シルクのまち かやがありますので、そこに泊りました。
夜中に入ったので、トイレが分からず困りましたが、実は小道をはさんだ向こう側にありました。
建物のある敷地には夜間使えるトイレが無いので、ご注意ください。
ちなみに加悦は絹織物の産地で、ご当地の食べ物は、絹の粉が入った「シルクうどん」です。
食べた感想は、普通の安いうどんでした。
特に肌がきれいになったりもしなかったです。
この道の駅は、ニッケル鉱山の跡地で太平洋戦争中は大規模に採掘していたそうです。
裏の運動場のところに鉱石を乾燥させる炉の煙突が残っていました。
SL広場は、これらの鉱石を天橋立の側にある精錬工場に運ぶための積み出し駅の跡だそうです。
汽車の旅(1章) ― 2011/04/10 00:54
序章から続きます。
それらしく乗っておりますが、実は保存車で走っておりません。
しかも木造車でも、客車でもありません。
この車両、気動車(ディーゼル車)です。
しかも、只者ではありません。
国鉄きってのセコハン車両、キハ08 3です。
遠い昔この車両は、車体が木の客車でした。
その頃の名前は、ナハ22459と申しました。
昭和元年前後の生まれです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8422000%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A
彼ら木造客車は、太平洋戦争中にボロボロになるまで酷使され、分解寸前の状態でお役目を務めておりました。
流石に死傷者が出かねない状態でしたので、車体を鋼鉄製(内装は木製)作り直してもらいました。
昭和30年7月のことでした。
この時の名前が、オハ62 130と申しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8460%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A#.E3.82.AA.E3.83.8F.E3.83.9562.E5.BD.A2
暫くは、普通に北海道で蒸気機関車に牽かれておりましたが、気動車(ディーゼルカー)に改造されることになりました。
昭和37年3月31日のことでした。
理由は、北海道にまで新車の予算が回らなかったからです。
この時の名前がキハ40 3となりました。
その後、新型に番号を譲れ、と名前を変えられてしまいました。
昭和41年12月1日のことです。
これが最後の名前キハ08 3です。
というわけで、客車として生まれながら気動車(ディーゼルカー)となったわけですが、僅か9年でお役御免となってしまいました。
やっぱり新型がいいよねってことで!!
昭和46年8月31日でした。
捨てる神あれば拾う神ありで、京都府の天橋立の側にある加悦鉄道に再就職することに。
しかし、この加悦鉄道も国鉄が貨物業務を止めたため、廃線になってしまいました。
昭和60年4月30日でした。
その後、車庫がそのまま「かやのSL広場」となって、そこで保存されております。
よく考えると、車歴上は60年選手だったんですねぇ。
それらしく乗っておりますが、実は保存車で走っておりません。
しかも木造車でも、客車でもありません。
この車両、気動車(ディーゼル車)です。
しかも、只者ではありません。
国鉄きってのセコハン車両、キハ08 3です。
遠い昔この車両は、車体が木の客車でした。
その頃の名前は、ナハ22459と申しました。
昭和元年前後の生まれです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8422000%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A
彼ら木造客車は、太平洋戦争中にボロボロになるまで酷使され、分解寸前の状態でお役目を務めておりました。
流石に死傷者が出かねない状態でしたので、車体を鋼鉄製(内装は木製)作り直してもらいました。
昭和30年7月のことでした。
この時の名前が、オハ62 130と申しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8460%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A#.E3.82.AA.E3.83.8F.E3.83.9562.E5.BD.A2
暫くは、普通に北海道で蒸気機関車に牽かれておりましたが、気動車(ディーゼルカー)に改造されることになりました。
昭和37年3月31日のことでした。
理由は、北海道にまで新車の予算が回らなかったからです。
この時の名前がキハ40 3となりました。
その後、新型に番号を譲れ、と名前を変えられてしまいました。
昭和41年12月1日のことです。
これが最後の名前キハ08 3です。
というわけで、客車として生まれながら気動車(ディーゼルカー)となったわけですが、僅か9年でお役御免となってしまいました。
やっぱり新型がいいよねってことで!!
昭和46年8月31日でした。
捨てる神あれば拾う神ありで、京都府の天橋立の側にある加悦鉄道に再就職することに。
しかし、この加悦鉄道も国鉄が貨物業務を止めたため、廃線になってしまいました。
昭和60年4月30日でした。
その後、車庫がそのまま「かやのSL広場」となって、そこで保存されております。
よく考えると、車歴上は60年選手だったんですねぇ。
汽車の旅(序章) ― 2011/04/05 08:36
今回は、のんびり汽車の旅です。
木造の客車で、行きます。
人家もまばらな山奥をゆっくり進んでいきます。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・。
そんなわけありません!!
今時木造客車なぞありません!
ということで、続きは次回で。
木造の客車で、行きます。
人家もまばらな山奥をゆっくり進んでいきます。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・。
そんなわけありません!!
今時木造客車なぞありません!
ということで、続きは次回で。
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