熊野周遊7 ― 2012/03/06 00:19

これは、片側交互通行の様子です。
この状態がそこかしこに存在していました。
道路が川沿いにあるので、濁流で路盤がえぐられて、片側だけ残っているのでした。
そこに、信号機を置いて片側交互通行にしています。
この状態がそこかしこに存在していました。
道路が川沿いにあるので、濁流で路盤がえぐられて、片側だけ残っているのでした。
そこに、信号機を置いて片側交互通行にしています。
熊野周遊6 ― 2012/03/05 23:50

お次は、熊野速玉神社です。
熊野詣では3つ目の神社です。
ここでは何も言われなかったので、掲載です。
この神社は、場所が高台だったらしく、神社だけ無事だったそうです。
それ以外の神職の宿舎や祭壇などは水に浸かったそうです。
新宮市の市街地全てが水に浸かっていたそうで、大変だったようです。
しかし、流石に市街地で、見た目では被害の痕は見られませんでした。
熊野詣では3つ目の神社です。
ここでは何も言われなかったので、掲載です。
この神社は、場所が高台だったらしく、神社だけ無事だったそうです。
それ以外の神職の宿舎や祭壇などは水に浸かったそうです。
新宮市の市街地全てが水に浸かっていたそうで、大変だったようです。
しかし、流石に市街地で、見た目では被害の痕は見られませんでした。
熊野周遊5(道の駅) ― 2012/02/29 01:22

玉置神社のあとは、戻って、熊野本宮にお参りして来ました。
但し、写真撮影は不可とのことなので、掲載は無しです。
そのあと、道の駅瀞峡街道 熊野川に泊りました。
真っ暗で、何も無い感じでしたが、翌朝起きてみると、何も無い!!
駐車スペースだけがあるだけで、更地になっています。
トイレも崩壊状態。
実は、昨年の9月の大水害で全て流されてしまったのでした。
今は、植込みの整備され、水害の慰霊碑が立っております。
但し、写真撮影は不可とのことなので、掲載は無しです。
そのあと、道の駅瀞峡街道 熊野川に泊りました。
真っ暗で、何も無い感じでしたが、翌朝起きてみると、何も無い!!
駐車スペースだけがあるだけで、更地になっています。
トイレも崩壊状態。
実は、昨年の9月の大水害で全て流されてしまったのでした。
今は、植込みの整備され、水害の慰霊碑が立っております。
熊野周遊4 ― 2012/02/22 00:04

玉置神社に行きました。
http://totsukawa.info/joho/kanko/5tamaoki_shrine.html
トンでもない山奥まで登っていきました。
車のご祈祷もしてくれるそうで、現地でお会いしたキャンピングカーの方は、ご祈祷を依頼されていました。
私は貧乏なので、お参りだけ。
http://totsukawa.info/joho/kanko/5tamaoki_shrine.html
トンでもない山奥まで登っていきました。
車のご祈祷もしてくれるそうで、現地でお会いしたキャンピングカーの方は、ご祈祷を依頼されていました。
私は貧乏なので、お参りだけ。
熊野周遊3 ― 2012/02/15 01:12

十津川村まですぐだということで、十津川村に行ってみることにしました。
十津川村では、吊橋と温泉ですが、時間的に温泉は合わないので、吊橋に行って見る事にしました。
一番長い吊橋ということで、谷瀬の吊橋に行きました。
なんでも、生活用の吊橋としては、日本最長とのことでした。
渡るとやはり、川面から高いし、揺れるし、踏み板ももろそうで(私の体重に耐えられるか心配)、結構怖いです。
下には広い川原が広がっていますが、昔はここに集落があったそうです。
しかし明治22年の大水害で流され、今はそのまま川原のままになっています。
ちなみにこの時に家を流された人たちが、北海道の新十津川町に移住したそうです。
十津川村では、吊橋と温泉ですが、時間的に温泉は合わないので、吊橋に行って見る事にしました。
一番長い吊橋ということで、谷瀬の吊橋に行きました。
なんでも、生活用の吊橋としては、日本最長とのことでした。
渡るとやはり、川面から高いし、揺れるし、踏み板ももろそうで(私の体重に耐えられるか心配)、結構怖いです。
下には広い川原が広がっていますが、昔はここに集落があったそうです。
しかし明治22年の大水害で流され、今はそのまま川原のままになっています。
ちなみにこの時に家を流された人たちが、北海道の新十津川町に移住したそうです。
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